あぁ、愛すべき誤解! “金沢・妄想レストラン”へようこそ【後編】


決して知識をひけらかさず、遊び心を持って楽しそうに“食”を語る稲田さん。 まさに食の伝道師のようなその姿に、話を伺いながらも、思わずグイグイと惹き込まれてしまいます。 そんな彼が描く“料理にまつわるストーリー”とは? そして今回企むTEI-ENプロジェクトとは? その全貌について迫ってみたいと思います。 



そう、いつだって愛は最強(?)なのだから。


—稲田さんにこんなことをお伝えするのは失礼だと存じながら・・・料理を仕事にされている方々って、本当にすごいと思っているんです。なぜなら、見た目や味、値段、いろんなハードルを超えて、大多数のお客さんが「うん、美味しい」と言ってはじめて成り立つビジネスじゃないですか。 こんなにシビアな仕事って、なかなかないな、と。


稲田: それはね、ほんとにそのとおりなんですよね。「料理人って、美味しい料理をつくれることが一番の条件でしょ」って思われることが多いんですけど、それは必要なスキルの1/10くらいにしか過ぎないんです。自分の経験上、修行したからといって美味いものがつくれるというわけじゃない。“店の商売”としての料理をつくる技術と、“食べて美味しい”料理をつくる技術は全く別物で、美味しいものをつくるだけなら、アマチュアがホームパーティーでふるまう料理のほうが、おいしいに決まってるんですよ。


—え、そうなんですか。それはつまり、「お店で出すならこのラインだよね」っていう、お客さん側の無意識なジャッジメントが関係してるってことですか?


稲田: もちろんそれもあります。でも店で出すものは、さきほどのハードルじゃないけれど、とにかく制約が多い。原価や手間が一定以上かけられないっていう物理的な制約もそうですけど、一番大きいのはやはりそうそう嫌われるわけにはいかなくて、誰にでも好かれなきゃいけない。万遍なく、万人受けするようなものを提供する義務というか責任が、ある。


—誰にでも好かれるって、アイドルでも難しい命題ですよね(笑)。 でも、稲田さんはご自身のお店で、あえて万人受けを考えず、稲田さんが出したいものを徹底的に追求した「特別コース」というメニューを、定期的に提供されていると伺ってるんですが。


稲田: そうそう、だからね、正直いろんな制約があるからこそプロの料理は美味しくないと思ってるわけです(笑)。なので、店で出すものとはまた別に、「特別コース」と名付けたうえで、別に嫌われてもいいし、好き嫌いが分かれてもいい。「なんだこれは?」って思われるものでもいいから、とりあえず僕が美味しいと思うし、好きであるものを手加減なしにそのまま出してみよう、と。


—なるほど。一番大きな制約を、あえて取っ払ってみる、と。


稲田: ものすごくわかりやすい例でいうと、パクチーってすごく好き嫌いが分かれる食材だったりするでしょ? プロとしてパクチーを使う料理であれば、配合や分量を配慮しなければいけないわけです。でも僕がやってる“特別コース”は、そういうのを振り切ってクセのある食材やスパイス、ハーブなんかをジャンルに縛られず遠慮なく使う、という(笑) ということは、プロがつくる料理でありながら、アマチュアのように制約がない中でつくる料理という意味では、僕の技術どうのこうのじゃなく、フォーマットとしてもまずいわけがないんです。


—いや、確実に、技術なしでは有り得ない味でした。 ちなみに“特別コース”を食べに来られる方って、どんな方々がいらっしゃるんですか?


稲田: えっと、いわゆるマニアですよね(笑)。たかだか5,000円のコースを食べるためだけに、新幹線で来られる方もいたりしますけど、言うなれば、その人たちも僕みたいに、“食を中心に生活が回ってる”ような人たちですよね。


—やはり! ただ、生活の中で食を優先順位にできる方々っていうのは、金銭的にも精神的にも余裕がある悠々自適な人たちなのかなって、勝手に思っちゃうんですが・・・


稲田: あぁ、それがいわゆる世間一般のいうイメージだと思いますね。お金を使って経験を積む、というような一般的なグルメ像でしょ?でも、僕を含めお客さんに多いのは、またそれともちょっと違う層なんですよね。ある種、食というものに対して、文化人類的な研究対象としてみてるっていうか。


—なるほど、研究対象としての、食ですか。それでいえば、今回のプロジェクトで、今まさに“金沢の食”についてリサーチされてらっしゃる途中だとか。


稲田: 金沢は、加賀料理を中心にして、京都に匹敵するくらいレベルが高いなと感じてますね。 あとは、センスがいいなぁと。いや、もっと正確に言うとするならば、「センスよくあらんと自分たちを律している」とでも言うべきか。おしゃれな人が常におしゃれに気を使ってるのと同じで、食に対してセンスいい態度をとらんとしてる、強い意志がある気がしますね。






—あ、それはわかります。稲田さん、痛いとこ突きますねぇ(笑)。 金沢市民は割と自覚的で、でもそのスタイルを曲げられないんですよね、きっと。


稲田: あ、わかるんだ。こんな抽象的な話なのに(笑) なぜそう思うのかと言うと、僕は普段、金沢の食に対して対極にあるとも言える名古屋に住んでるからです。名古屋の人たちが、欲望をダダ漏らしにして独特の食文化をつくってるのと対極にあって(笑)、金沢の食はなんとなく、「自分はかくありたい」という理想形に近づくために、自分たちを律していかなければいけないみたいな。例えばハントンライスとか金沢カレーにしても、破綻せずにちゃんと常識の枠の範囲内に収まってる感じがする。それが実際どうかは別として、やっぱり全体的に優等生のような印象を持ってます。


—名古屋と比べられると、没個性的としか言いようがないような・・・


稲田: だから、今は優等生のほころびを探しているというか、今さら優等生の優れている点を褒めない。 そうじゃなくて、優等生が心ひそかにコンプレックスに感じてる欠点のようなものを探し出して、「いやいや、君たちのここが素敵だよ!」みたいな。いやー怒られちゃうかもしれないけど(笑)


—たしかに、コンプレックスなところを褒めてもらうっていうのは、 金沢に限らず、地方が潜在的に求めていることかもしれないですね。


稲田: そのためには、僕のようにあくまで他者、異邦人という目が必要不可欠だなと思うんですよね。 だからこそ今回のプロジェクトは、「外国人が日本料理を誤解したレストラン」という設定を軸にしたわけです。いろんな国や地域と金沢の食文化を組み合わせた「TEI-EN」というレストランなんですけど、そこで提供する架空のメニューブックをつくって、実際にその中から実現可能なメニューが味わえる試食会までやろうかな、と。普通だったらその先に店が開店して経済活動が始まるんだけど、そうすると、実現性に縛りが出てきてしまうので、今回はあえてビジネスになる前の段階でぶった切ってしまうわけです。それは「妄想だったらなんでもできる」っていう話ではなくて、概念や実現不可能なものを描くことで、あえてその先を観客にもっともっと自由に想像してもらえたらなと思ってるんですよね。


—なるほど。その解釈の余地は、まさに“外国人が日本を誤解する”という部分に通じるものがありますよね。これは誤解なのか?それともアレンジなのか?って思う日本料理とかいろいろあるじゃないですか(笑)


稲田: まさにカリフォルニアロールなんか、その最たる例ですよね(笑)。でも僕が思うに、誤解かアレンジなのかっていうのは、「対象に愛があるか否か」じゃないかなと思うんですよねぇ。カリフォルニアロールは、明らかに寿司に対する“愛”があるんだろうなって、根拠はないんだけど。


—愛があるか否か。


稲田: 最近のご時世だと、外国でいい加減な料理を出して「これが日本の寿司だ」みたいなことを言ってる店に批判が集まってたりするじゃないですか。それって、やっぱり“あくまで利益を得るための手段”としか思ってないのか、それとも“オリジナルに対するリスペクトがあるのか”っていうのが、大きな分かれ目であるような気がしているんですよね。でも僕は、もちろん批判的な流れもあるけど、カリフォルニアロールのように日本だけでは絶対生まれなかった魅力的なものが生まれるチャンスの芽を、あっさりとつぶしちゃいけないなとも思うわけです。


—じゃあ、その可能性を「TEI-EN」を通じてカタチにする、と。


稲田: そうそう。個人的には、外国人の目を通してみる日本像ってものすごくチャーミングで愛らしいなぁって思うんです。なので、僕は今回の企画で、誤解する外国人の立場になりきりたい。 そして、金沢に対する愛を持ったうえで、愛すべき勘違いを積極的にやってみたい(笑) 金沢料理に感銘を受けながら、違った解釈をしたシェフと、「自分は“第二の魯山人”だ」と言い張る自称・陶芸家の東洋人。この二人がニューヨークに戻って店を出したときに、果たして一体どんなものができるのだろうか、と(笑)。もはやそれぞれの真贋が問題なんかではなくて、「愛ある誤解」で表現される他文化への愛情とは、一体どんな化学変化を生み出すのだろうかという、そんなストーリーを描いてみたいなと思ってます。



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)



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