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マジョリティVSマイノリティの線は誰が引いている!?【前編】


「“マイノリティを、マイノリティたらしめているもの”って一体なんなんだろう? 僕はそこが知りたくて、今回のリサーチを始めたんだよね」


そう言いながら、部屋の壁を見据えて自問自答しているように見えるひとりの男性。 彼は、カナザワフリンジの参加ディレクターのひとりでもある山田洋平さん。

そしてこれは、彼が企画するプロジェクトのインタビューをしている最中での一幕だ。



アーティストは、いつだってマイノリティな存在なのか。


山田さんのプロジェクトのタイトル名は、ずばり、「アーティストと地域社会」。 内容を簡単に説明すると、山田さんは「アーティストは、社会的マイノリティである」という前提をもったうえで、金沢に住まうアーティストたち30名にインタビューを敢行。そこから語られる“アーティスト”という肩書きや活動が、果たして金沢のまちとどのように作用し合っているのか、 その関係性を探ろうというものだ。



そんな彼の話を聞きながら、私も「うーん・・・」と唸りつつ、自問自答してしまう。 「そもそも、“マジョリティ”と“マイノリティ”の違いって、なんだっけ?」


“社会的総数”、転じて“世論を形成する声”として捉えられがちな 「マジョリティ VS マイノリティ」という図式。だからなのか、マイノリティという言葉を見るたびに、 “民族”、“立場”、“権力”、“性差”などにおいて、弱者のネガティブなイメージがわいてきてしまう。


しかし考えてみれば、その総数の中において、どこに線を引くのか。 その立ち位置や視点が変われば、「マジョリティVSマイノリティ」の多少は、 全く違ってくるのではないだろうか・・・・。


とはいえ、実際の世界はそんなに簡単ではない。もっともっと、複雑で面倒くさいものだ。 いくつもの線が絡まり合って、いろんな多少を作り出している。


だとしたら、アーティストたちが感じる金沢の“マジョリティVSマイノリティ”の線は、一体どんなものだろうか。その線は、同じ“アート”というジャンルの中にもありえる線引きなのだろうか。 はたまた、誤解を恐れずに言ってしまえば、金沢に住むアーティストたちは、まちの中において、本当にマイノリティな存在なのだろうか・・・。


そんな疑問を紐解いてみることで、新しい金沢らしさが浮かび上がってくるかもしれない。 それが、今回の「アーティストと地域社会」のリサーチのベースになってきそうだ。




“アートで生きる”ではなく、“アートに生き方を見出す”ということ。


そもそも「アーティスト・イン・レジデンス」とは、国内外からアーティストを別の土地に招聘する流れが一般的である中、なぜ山田さんは“金沢に住む地元アーティスト”にフォーカスしようと思ったのだろう。

それは、山田さんがディレクターである前に、一人の“アーティスト”として、 ダンスというジャンルで長く活動してきた、表現者であるということ。 そして、東京で生まれ育ち、ドイツ・ベルリンでのアーティスト活動を経て、 ここ、石川県に移住してきたという経歴の持ち主であること。これらが、根底にある。



山田:

「やっぱり、東京とベルリンという巨大都市に住んでいたときって、いわゆる“アートの世界で通用する価値観”みたいなものを、自分の軸にしながら生きてきていたような気がするんですよね。 だから、石川県に移住してきたときは、その基準のまま金沢というまちや作品を見てしまって、知らないうちに“大都市やアートワールドに通用するか否か”を判断の基準にしがちなところがあったんです。“それ以外に、まちや人、作品をみるうえでの基準なんてあるのか?”というぐらいの気持ちでした(笑)。でもある時、ふと、自分自身の偏見に気が付いたんですよね。 “あれ、なんで自分は、大都市での価値観をこの土地に押し付けようとしてるんだ?”って。 そんな価値観も、実は狭いなかでの価値観なのにね」


歴史も風土も人も違えば、気質や考え方も違ってくる。 その違いを否定的な“クセ”と捉えるのではなく、個性に置き換えて、伸ばしていく。 今回の「カナザワフリンジ」に置き換えれば、招聘アーティストによる“偶然の発見”だけに期待するのではなく、むしろ、地元アーティストたちが抱える、あるいは直面している“必然の課題”を掘り起こしていくことこそが、まちの個性を伸ばすために必要なのではないか?

それがまさにアーティストでありアウトサイダーである山田さん自身の、リサーチの命題でもある。

そのために今回彼が取り掛かったのは、二つ。 ひとつめが、まず地元アーティストたちへのインタビュー取材だ。

しかし、彼のインタビュイーリストを聞いて、ひとつ疑問を抱いた。 今の金沢といえば、国の方針もあって“工芸”が一大ブームのようになっているなか、 インタビューには、伝統技術や工芸を扱う職人がいて然るべきなのに、彼らの名前が見当たらない。

どちらかといえば、表現者としての“独自性”が際立って問われる、「ダンス」や「演劇」、「音楽」、「現代美術・映像」など、コンテンポラリーなアーティストたちの名前が挙がっている。 これは一体なぜなんだろう・・・。


山田:

「取材してみて面白いと思ったのは、コンテンポラリーアーティストの方々って、肩書きを二つ以上持ってるひとたちが多いんですよね。つまり、他にお金を稼ぐ手段を持っていたとしても、ライフワークとして表現活動を続けている。そういうひとたちが多いんですよ」


その言葉を聞いて、山田さんの考える「マジョリティVSマイノリティ」の1本目の線が、おぼろげながら見えてきた気がする。つまり、「金沢=工芸」、「金沢=伝統」というアートワールドで名を挙げ生きていくことが是である、あるいは、職人的な専業で生業をつくっているというマジョリティ視点ではなく、 今回は、アートに生き方そのものを見出している人たちに目を向けてみる。ということなのではないか、と。

その折に出会ったのが、金沢市・大野町を拠点に活動している山本基さん。 国内外でも名の知れた山本さんは、塩だけを使い、独自のインスタレーションを手掛ける美術家だ。 「迷宮」、「階段」、「花びら」など、緻密な規則性を感じずにはいられない作品だが、実は自然の成り行きに任せてカタチを生み出していくという、驚きのスタイル。そんな山本さんにインタビューするという話を聞きつけ、私も同席させてもらうことにしたのだ。



正直なところ、“きっとアートワールドを軸としているアーティストだろう”と思い込んでいたのだけれど、彼の話を伺っていく中で見えてきたのは、私の予想をはるかに超えた山本さんの生き方だった。



→後編へつづく



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)