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日本人の“掃除”こそ、世界に誇れる文化!? リサーチャーとして見つめる、まちの新しいかお。【後編】

アメリカ・カリフォルニアのオークランドを拠点に活動する二人組ユニット、マークサーチ。 スー・マークとブルース・ダグラスは、息子のローリーと一緒に、ただいま日本滞在中だ。


そんな彼らが、リサーチのために金沢に滞在するのは、“2ヶ月間”という限られた時間。 日々暮らすように過ごしている中で、彼らの目に映る新しい“まちと人の接点”は、どんなものなのか。 自らを“リサーチャー”と呼ぶ彼らの視線の先には、一体なにが広がっているのだろうか・・・。


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“リサーチャー”という言葉からもわかるように、 マークサーチの活動は、人類学や社会学、歴史学などに基づいていて、 様々な学術的協力者とともに行っている。


そこから浮かび上がってくるまちの歴史や課題、住んでいる人たちのストーリーなどに向き合い、学術的なリサーチのうえで、人との偶然の出会いを楽しみ、自分たちの思うままに作品をつくる。




スー: とはいえ、実際のところ私たちは、科学者ではないのよね。 だから、決まった学術的なルールに則ってデータを出さなければいけないこともないし、文献にまとめなきゃいけないっていうプレッシャーもない。 だからこそ、自由に作品をつくることができるのよ(笑)


リサーチからなる具体性のうえに、アートのような抽象性や偶発性を兼ね備える状態こそが、マークサーチのいう“リサーチャー”という立ち位置なのかもしれない。

そんな彼らが、今日本に来て、金沢というまちに滞在している理由。 それは一体なんなのだろうかと、俄然興味が湧いてきた。



まちに根付く“用の美”は、町家や工芸だけじゃない。


スー: 金沢は戦争の被害を受けていないから、“文化がそのまま残っているまち”というのが、私たちが惹かれた理由のひとつね。日本人は、きっと気に留めてないかもしれないけれど、古いものを日常的に使っている、いわば民芸運動に通じるような“用の美”が、当たり前のように金沢市民の生活に根付いている。それが本当に興味深いの。 だから、“町家”とか“工芸”にも、もちろん注目してるわ。


“町家”に“工芸”。 石川県民であれば、もう聞き飽きるほどに、耳にするワードたち。 「金沢らしさ」とは?」と尋ねられれば、思わず答えてしまうフレーズではないだろうか。 やはり金沢の魅力はそこに行き着くのか・・・、と、実は内心そう思ってしまった。



スー: 金沢市が、町家活用の促進やサポートに力を入れていると聞いたうえでまちなかを歩いてみると、たしかに若い人の解釈でリノベーションされている町家を多く見かけたりして、素敵だなと思うのよね。 ただ、町家に住むと、畳の掃除とか維持をするのが大変だなとも思うわけ。だって、この山鬼文庫もそうだから(笑)。でも、町家に住んでる人たちからしてみたら、維持の大変さなんてものは、全く気にならないのか、それとも「大変だから住むのをやめよう」と思ったことがあるのか(笑)、 私たちはそこが一番気になるところなの!


うーん、参った。てっきり「格子が美しい」だの、「歴史を感じる」だの、 そんな言葉がスーから語られることを想定していた、そんな自分がいた。それも、無意識に・・・。 でも、彼女が見ていたのは、表層的な部分なんかじゃない。そこに、愕然としてしまった。 私たち市民が、まちの魅力を画一的に語ってしまいがちなのは、結局目に見えるものしか見ようとしていないからなのでは?ということに、改めて気付かされた気がしたからだ。


スー: 例えば、浅ノ川なんか歩いていても、匂いもしないしゴミも落ちてない。落書きもない。 これがカリフォルニアだったら、ベイエリアなんて本当にゴミと落書きだらけなのよ!(笑) そうやって、とにかくまちが綺麗なのは本当にすごいことだと思うの。 たまに、まちを掃除してる方を見かけたりするんだけど、それって昔からの伝統なのか、それとも当たり前のことなのか、もしくは掃除に何かしらの意味を見出してるのか、それがすっごく気になるのよね。儀式的な美意識すら感じるくらいに。


これってほんとに些細なことのように感じるかもしれないけど、毎日の生活を清潔に保つことって、労力もいるし時間もいるし、簡単なことじゃないでしょ。日本人は全然気にも留めてないかもしれないけど、当たり前のように“誰もが掃除をする”っていう日本文化の文脈は、とても興味深いものなのよ。



技術と文化をバランスよく残す、“箒(ほうき)”の本質。


そんなマークサーチが、今一番、心を鷲掴みにされているもの。 それはなんと、“箒(ほうき)”だとか。

たしかに、触ったことがない人なんていないんじゃないか、というくらい日本中のどこにでもあるし、起源はとっても古いのに、今でも使われている現代性を持ち合わせている。 しかも、ハンドメイドで作られているものも多いのに、値段は安い。お手頃価格だ。






スー: アメリカなんかは特に顕著なんだけど、昔からの手仕事で作られた商品っていうのは、本当に値段が高くて、贅沢品のひとつになってしまったのね。ハンドメイドという価値が、昔と今ではもう大きく逆転しちゃってる。ただそこで思うのは、もちろん伝統技術や手仕事は残していくべきものだとは思うんだけど、「保存していく」ということと、「崇め奉って売っていく」っていうのは、必ずしもイコールではないと思うの。その技術を残すこと=すごく貴重なものとして扱われるべき、ではないと思うのよ。


だからこそ、マークサーチは、箒(ほうき)に着目している。


それは、箒(ほうき)という物質への興味というよりも、 小学生の時から、“掃除の時間”を当たり前のように受け入れてきた日本人の習慣や、 普段使いすることで、箒(ほうき)という手仕事を継承する技術保存の仕方、 ひいては、これらの文脈が、今後どういう関連性をもって未来に受け継がれていくのか。


箒(ほうき)を通じて、人と文化、歴史のつながりの中から金沢というまちを見つめようとしているのだ。



「地方創生」、「インバウンド」、「地域のオリジナリティ」など、たくさんの言葉が躍る昨今。 まちの独自性に着目することは、たしかに必要だと感じる一方で、 一目瞭然のオリジナリティを、バナナの叩き売りのようにいくつも並べたところで、 それは結局、誰に向けられているものなのだろうか。


異なる文化背景を持つ外国人という視点で、まちを再提起するマークサーチのように、 私たち日本人もまた、普段当たり前としている所作や精神、 さらにはまちに根付く土着の人々の性質や気質を、今一度辿りなおすこと。 この地味な作業の中にこそ、本当のまちの魅力がそっと隠されている気がしている。



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)