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社会を動かすヒントは、まちの周縁部(フリンジ)から生まれてくる。【後編】



今年の「AIR21:カナザワ・フリンジ」に、ディレクター陣として名を連ねたのは、以下の5名。

金沢21世紀美術館交流課プログラム・ディレクターの黒田裕子さん。 NPO法人金沢アートグミ常駐スタッフ、ディレクターの上田陽子さん。 Suisei-Art主宰で、アーティストおよびコーディネーターでもある中森あかねさん。 アートスペース「Kapo」のディレクター・齋藤雅宏さん。 そして、山田企画として、ダンサー兼企画制作も行う山田洋平さんだ。


とはいっても、本プログラムは美術館主導のトップダウン型ではないということ。


公共施設、NPO、個人というその立ち位置からもわかるように、 “アート”というフィールドで活躍する多彩な人たちが、 同じ目線のうえで“アートと社会の新しい関係性”を探っていく、ボトムアップ型のプログラムだ。


そこで、ディレクター陣のリサーチを踏まえ、どんな課題や関連性が見えてきたのか、 はたまた、何が生まれ、何が生まれなかったのか・・・。 金沢21世紀美術館学芸員の高橋洋介さんをモデレーターに迎え、 ディレクター5名のトークセッションの中から、互いの気付きや来年の抱負について 今一度振り返ってみることにしたい。



今一度、“金沢らしさ”に向き合ってみる。



高橋: 今回いろいろなリサーチがあったと思うんですが、男性陣は「ソーシャリー・エンゲージド・アート(以下、略SEA)」という歴史的観点や、金沢における「アートと社会の関係性」のように、どちらかと言えばプログラム全体を俯瞰したリサーチから始めているなぁ、という印象を受けたんですね。 それに対して、女性陣は現場に乗り込んでいって、実際にトライしてみる。 そこから見えてきた課題や気付きを、さらに追及していくというやり方だったように思います。

このように、リサーチのやり方からして全然違う手法だったかと思うのですが、ご自身のテーマを含め、ひとまず今回やってみてどうだったのか、それぞれの想いをお一人ずつ聞かせていただけますか?


上田: 今回同時進行のリサーチが多かったこともあって、全部見きれなかったのが残念でしたね。 でも、「SEA」のレクチャーが面白くて、オーディエンスデザインのことを体系的に知ることができたのは良かったです。私のリサーチで言えば金沢の「食」をテーマに、いわゆる“金沢の郷土料理”のステレオタイプではないところを掘り下げたいと企画を行ったんですが、協力いただいたシェフの稲田さんから、「金沢は常に“品の良さ”や“調和”を重んじる優等生タイプだ」って、何度も言われたんですね。でもその言葉に照らせば、優等生タイプなのは、食だけじゃないと思うんです。金沢らしいと言われている工芸やアートにも通ずる部分で、裏を返せば、“突き抜けなさ”、“真面目すぎる”みたいな解釈になっているんじゃないかな、と。それに対して、今回“外国人”という視点で金沢の食を再考、再提案したらどうなるか、という仮説のもとにリサーチしたのが、「妄想レストランTEI-EN」の始まり、というわけなんです。




中森: 「食」という切り口は、土地の文化を語るうえで欠かせない視点なので、とてもユニークですよね。 実は、私自身20年前からアーティストとして金沢を拠点に活動していく中で、ずっと抱えていた課題やモヤモヤみたいなものがあったんですが、男性陣のテーマを見聞きする中で、今の世界の潮流を知れたり、自分自身がやってきた活動に対する気付きがあったりして、本当に「どれも興味深いな」と思ったんです。ただ、私は金沢で生まれ育ったという事実が、今の私を形作っているとも確信しているんです。そういう中で、今回のリサーチを自分なりに振り返ってみるならば、「アーティスト・イン・レジデンスには、“縁”とか“ゆかり”みたいに、人やモノを結びつける“偶発的で不思議な力”を借りることも大切なんじゃないかな」って思ったんですよね。金沢に限らず、どこの土地でも“その土地の血肉になっている人”たちがいるはずでしょ。アートだけに留まることなく、いろんな繋がりに積極的になることで、思いもよらなかったことが起こりうる可能性を秘めているんじゃないかな、と思いました。



山田: まさにそれが僕のリサーチに通じる部分ではあるんですが、金沢にいるアーティストやオーディエンスって、個人的な“人間関係”にしても“アートへの興味”にしても、なんというか一定の距離感を保ちたがる性質があるのかなって感じることが多々あったんですね。だから、AIRで外からアーティストを招聘して、積極的な参加を呼びかけたとしても、「我々が期待するような関わり方やアウトプットが、果たして本当に生まれるのだろうか?」という疑問があったんです。だから僕は、金沢という地に根付いて制作を行っているアーティストにフォーカスして、彼らが“人とモノのハブ”になるようなネットワークが築けないだろうか?という仮説を立てて、今回のリサーチを行ったんですよね。


齋藤: 山田さんが“オーディエンス”という部分に触れられましたけど、今回自分を含めて、みなさんのリサーチをみて思ったのは、「AIRのオーディエンス設定が、とても課題になってくるな」ということですね。 レクチャーでも話があったように、ディレクターがそれぞれ自分のリサーチのオーディエンスをどういうふうに設定していたのか?というのが少し気になった部分です。例えば、「妄想レストラン」だったら、お客さんとしての参加者なのか、コラボレ―ターや制作者としての参加者なのか。 あるいは、「ソケリッサ」だったら、地元ダンサーは演出まで関わるコラボレーターなのか、それとも依頼された出演者なのか、など。 日本のアートプロジェクトにおいても、これからはオーディエンスを意識しながら、新しいAIRのカタチを通じて何を行っていくのか?ということが、「カナザワ・フリンジ」の課題にもなってくるのかなと思いました。



黒田: 私のリサーチの場合は、ある種強いテーマ性を持った「がん」というキーワードなので、 いろんな波紋をよんだり、いろんな想いを持つ人もいるとは思うんですね。 ただ、自身ががん体験者であるアーティストのブライアンは、「がん」を通して見えてくる死生観や文化背景、人間関係、社会体制、医療、政治といった広範な課題を、プロジェクト参加者とともに“個人史”を通じて社会に発信しているわけです。6月にリサーチのため来日し、患者さんや医療関係者たちと話をする中で、例えば彼らの中に“パーソナルなことを話しにくい気質がある”ということや、“気持ちや考えを言語化することに慣れていない”ということに気付いていました。同時に、ブライアンと出会った方々の中にも、“これまで気付かなかった自身の可能性”や“病の捉え方”に新しい側面を見出したという方もいらっしゃったんですね。欧米と日本の社会医療システムについて多くの相違があることで、互いに学び合う機会になっていたと感じる一方、当事者や関係者の参加が不可欠な「Fun with Cancer Patients金沢ver.」を実施するには、ブライアンも今までとは違う人間関係のアプローチが必要になる、ということになってきます。このように、アーティストが“あるテーマ”を提示してコミュニティに働きかけることによって、願わくば互いがより肯定的に変化していく、そんな化学反応が起こり得るんだということ。 「AIR21:カナザワ•フリンジ」としては、ディレクターごとにこれだけ多様なバリエーションが出たように、いろんなものを受け止められるような“受け皿”になるプロジェクトに育てていけたらと考えています。



“対話と協働”の先に、私たちはなにを見ているのだろうか。


高橋: なるほど。今お伺いしていく中で、“オーディエンスデザイン”、“文化差”、“地域性”、“ジェントリフィケーション”というキーワードが、ゆるやかに共通しているものなんじゃないかなと思いました。


例えば、黒田さんなら、欧米と日本における死生観の違いによって、アーティストが想定しているオーディエンスと、日本側の受け取り方にギャップが生まれてきたということ。 あるいは、中森さんのマークサーチの場合、日本における掃除の習慣に着目しているとはいえ、そこに“金沢らしさ”と呼べるものがあったのかどうかということ。 上田さんの食の場合は、郷土料理の中から時を経て失われていく味には、どんな背景があったのかということ。そういったことが今後のリサーチや作品にどのように反映されるのか、気になりましたね。


あと、ちょっとこれは大きな議論に発展するかもしれないですが、 齋藤さんがリサーチされた「SEA」は、欧米の、規律を内面化した個人を育成するための社会制度や、キリスト教文化から生まれてきたさまざまな価値観があるからこそ生まれた運動だと思うんですね。ただ、日本だとその文化とは違う文脈で“アート”が捉えられているので、欧米らしい考え方を金沢に持ち込んだ時に、本来の「SEA」として機能するのかだろうか・・・。 と、そんなことも大きな問いとして考えられうるかなと思いましたね。


齋藤 たしかに、それはひとつ考えられる課題だなと思っています。 高橋さんがおっしゃるように、欧米と日本では“アートと社会”の図式が違いますし、日本のコミュニティ感覚を考えると、アートで社会的な変革に切り込むという直接的なやり方は、スルーされてしまうかなと感じます。ただ、ジワジワと人の心を変えていくみたいな“包括的なスタイル”が日本のアートプロジェクトには多いので、逆に言えばこういったケースをリサーチすることで、日本での「SEA」を考えるきっかけになればいいな、と。また、今の時代に生きる私たちにとって、必要不可欠な先端技術やメディアを積極的に取り入れて考えるなど、自分たちにとっての「リアル」に意識的になることが、「AIR21:カナザワ・フリンジ」の展開を長期的な視点で考えていくうえでも、必要な要素だなと感じましたね。



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今年は、来年に向けてのリサーチ年ということもあり、マクロ、ミクロの双方の視点から、ディレクター一人ひとりが思うフリンジにスポットを当てた3ヶ月間。 しかしその振り返りの中でぼんやりと見えてきたのは、 やはり、ジサンが第一部の最後に話したキーワードに帰結していくのではないだろうか。


「みなさんは、本当にこのプロジェクトやテーマに興味がありますか?」


アーティスト一人が持ち込んだ作品を並べるだけの展示会ではなく、 一人ひとりの対話と協働の中から生まれていくAIR。 だからこそ、来年度に向けて各ディレクターがさらに視野を広げ、 周縁の“オーディエンス”や“地域”、“社会”にまで、この問いかけをしていく必要があるように思う。


例えば、食にあまり重きを置いていないコミュニティや、 土地の文化を頑なに守り続けているコミュニティに質問を投げかけてもいいかもしれない。 あるいは、これから伸びしろのあるテクノロジー分野の企業や、CSR・アートに関心の高い企業、ソーシャルビジネスの専門家に、トップランナー、イノベーターと呼ばれるような人たちとタッグを組んでもみるのもいいのかもしれない。


ジサンの言葉を借りれば、 「パフォーミングアーツにおけるAIRの場合、プロデューサーに必要な資質は、 リサーチャーであり、キュレーター、ファシリテーター、プロダクションマネージャーであるということ。それらを一人で担っていけるほどの“マルチタスク型”の能力が必要になってくる。 しかし、それは全部自分で決めるということではなく、個性を持ったアーティストやオーディエンスと、互いに意見を言い合って、互いに学んでつくり上げていく。その過程が何より大事だ」

ということ。


何かを革新するときは、既存のものをある程度否定したり、壊したりすることも必要になってくる。 それはアートに限ったことでもないし、いつの時代だってそういうものだ。 だからこそ、恐れることなくフリンジにスポットを当てていくことで、 社会に新しいムーブメントをつくる可能性が秘められているはずだ。


2020年の東京オリンピックに向けて、様々な文化プログラムがにわかに活気づいてきた今年、金沢のフリンジから、一体どんなものが生まれてくるのだろうか。 「AIR21:カナザワ・フリンジ」のチャレンジは、まだまだ始まったばかりだ。



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)