路上生活に、“人間らしさ”の根本あり。 ソケリッサにみる、現代社会と芸術的価値の関係性。【後編】

駅前、お城、商店街、市場。 アオキさんたちソケリッサは、金沢での滞在期間中にいくつもの場所で路上パフォーマンスを行った。 しかしオーディエンスといえば、“消極的”で有名な金沢人がほとんど。 ちらっと見るものの、足を止めてゆっくり見てくれる人は、正直言ってあまり多くない。 そんな中、21世紀美術館のシアター21で行われるダンスワークショップに、 一体どれくらいの人が集まるのだろうと、正直不安だったのだけれど・・・。


ダンスワークショップ当日に集まったのは、子どもから年配の方まで、約20名近くの老若男女。 プロのダンサーから全くの素人さんまで、経験値の差がバラバラなメンバー構成だ。 そこでアオキさんはストレッチから始めることにしたのだけれど・・・、

「歩きにくく歩く」、「出会った人の身体を触って歩く」 「できるだけ遅いスピードで歩く」、「出会った人と一緒に即席ポーズをとる」

アオキ流の真骨頂でもある“言葉”による振付が、最初から行われていく。

一人で、二人で、そして最後はチームで。 アオキさんからもらう“言葉”をどう解釈し、参加者たちが自分の身体を通じてどう返していくのか。



保守的なまちや土地ならなおさらのこと、知らない人たちの前で自分を解放しダンスを踊ることは、 とても勇気がいる行為のはずだ。 しかし今回は、どのチームも多様性に富んだ出来栄えで、全員がイキイキしていたのが印象的だった。



そう考えてみると、路上生活をしているホームレスのおじさんたちも、 一見オープンマインドな性格の人たちには思えない。そんな彼らが、今やソケリッサのメンバーとして 国内外でパフォーマンスをするだなんて、最初からすんなり受け入れられたのだろうか。


自分の身体を使い切って、生き抜いていく。


横内: 僕たちは、「ビッグイシュー」という雑誌の販売経験があるんですけど、 それ、どうやって売ってるか知ってます? お店なんてないので、路上で雑誌を手に持って、みなさんにアピールして買ってもらうわけなんです。 ということは、実はもう雑誌販売自体が、僕たちにとったらストリートパフォーマンスなんですよね。


小磯: 通勤ラッシュの人波ってすごいんですよ。それこそ、洪水のように、ワーッと人が押し寄せてくるんです。延べ、数千人の視線。それらが行きかう中で、僕たちは声を上げて雑誌を売ってたんですよね。 だから、視線を跳ね返して「負けないぞ」っていう気持ちは、ずっとありましたね。




横内さんと小磯さんの言葉を聞いて、なんだか頭を殴られたような気がした。 わたし自身、そんなつもりはなかったとしても心のどこかで、 “ホームレスのおじさんたちにダンスなんて無理だろう”と思っていたのかもしれない。

しかし、「ビッグイシュー」を販売していた彼らにしてみれば、路上での生活はパフォーマンスの一部になりえるということ。全員をオーディエンスと見立てて、視線を跳ね返すようにどう立ち振る舞い、どう生きていくかを考えている彼らにとって、路上でダンスを踊ることは生活そのもの、のようにも思えてくる。



横内: ただね、路上生活をしてると、絶対になくしてはいけない“人間的な部分”っていうのが知らないうちに欠落していくんですよ。身近な人を大切にしてこなかったとか、社会的規範を守らないとか。そういう社会的な負のスパイラルに陥っていくと同時に、表情もいつの間にか険しくなって体の筋肉もガチガチに固まっていくんです。そんな中で、こうやってソケリッサやアオキ先生とご縁ができて、お客さんの前に立つことができて達成感を持つことができた。それらを支えて尽力してくださる周りの方々を間近でみているので、“この人たちを裏切れない”っていうことが、少しずつ積み重なってきたんですよね。 そうやって、少しずつ人間的な部分が取り戻せてきてるのは、やっぱりソケリッサと出会ったから。 だからこの活動が、今は僕の生きる糧になってるんです。





小磯: 私は、誰かを拒絶してるわけでもないし、何かを隠そうとしてるわけでもないんですけど、やっぱりずっといろんなものから“逃げてる”っていうのは自覚してるんですよね。 一つやりたいことがあったら、そこに集中してしまうがために、他のことを放り出す形になってしまう。 そうなると、社会的な生活に繋がりがなくなってしまう状態が続いたんですね。 そんなときにたまたまソケリッサに出会って、ダンスを踊るようになってからは、不思議とこのダンスに心が集中できるようになってきたんです。だから私の場合は、社会性を取り戻せるとか大袈裟なことではないにしても、自分の身体を使い切って、ただただ心から取り組むことができたという感覚ですね。


アオキ: 二人の話からも分かるように、こういう気持ちの変化って、 いろいろやってる中で“結果的にそうなった”っていうのが、すごく自然なことだと思うんですよね。 僕がこのソケリッサを始めたのも、社会的な課題を解決しようとか、ホームレス支援をしたいとか、 そういうゴールがあったわけじゃないんです。というよりもむしろ、人の身体の歴史に興味があった。 もっと言えば、原始的な人間の身体にすごく興味があったんです。




夜寝るときに暗闇の怖さを感じるとか、寒くて凍えそうになって命の危険を感じるとか、 朝起きて太陽が暖かくてホッとするとか。でもこれって、おそらく屋根のある生活じゃあまり考えないですよね?でも路上生活であれば、人間としての根本を否応がなしにも感じざるを得ない生き方だと思うんです。それってまさに、僕が大事にしたい“個人の身体の記憶”そのものだな、と。 だから、自分やメンバーのおじさんたちが、このダンスを通じて、自分の身体や社会と向き合う。 その通過点の中で、それぞれにとってソケリッサの必要性が芽生えればいいなって思ってるんです。



実際、ストレッチ感覚で参加している人もいれば、練習のあとにふるまわれるおにぎりを楽しみに参加してる人もいるらしい。個人がソケリッサに何を求めているかは、本当に千差万別ということだ。



人類共通の喜びは、“自分で創り出す”ということ。


アオキ: ソケリッサに関わることで輝いてる人もいれば、うまくいかない人だってもちろんいる。 それはそれでいいと思うんです。だって、誰も先のことなんて確定できないじゃないですか(笑)。 いろんなことが決まらない人生の、瞬間瞬間を楽しんで積み重ねいくことで、何か起こるかもしれない。

人ってね、気付いたら楽なことをやってしまう生き物なんですよね、しょうがないんだけど(笑)。 でも僕が思うに、“創造すること”って人間の共通する喜びだと思うんです。 誰かの借り物でやるより、自分で創りだしたもので拍手をもらうと、心の底から “うわ!”っていう気持ちが巻き起こってくる。 そこには必ずしも、上手いとか下手って関係ないんですよね。 自分という人間から出てくる感情や表現、気持ちを、自分の身体を通じてカタチにする。 それが誰かの心を揺さぶるっていうのは、何物にも代えがたい喜びなんじゃないかな。




そう考えれば、今まで自分が経験してきたこと全てが、自分の身体のボキャブラリーだと言えるはず。 大切な心の支えになる思い出も、できうることなら消してしまいたい過去も、 いいことも嫌なことも、どれも否定されることなく、全部が自分だということ。

アオキさん、横内さん、小磯さん。それに今までソケリッサで踊ってきたおじさんたち。 それぞれ歩んできた人生は全く違うけれど、それぞれが自分の身体を通じて自分と向き合い続けているのが、ソケリッサの踊りなのかもしれないと思った。

そのうえで、アオキさんの言う“身体の原始的な部分”を覚醒させるためには、 きっと、多様なまちの空気感や人々の話す方言、地方で食べるご当地の味、滞在する場所の匂いなど、さまざまな場所に出向き、その土地から受ける様々なインスピレーションを大切にすること。 そうやって、自らの身体に新しい記憶を刻み込む行為は、 路上生活経験を“生きる力”へと昇華するソケリッサにとって、なくてはならないチャレンジのはずだ。

もっと言えば、地域の土地に滞在し、人々と交流するアーティスト・イン・レジデンスにおいて、 きっとどんなアーティストにとっても、同じように大切になってくるに違いない。

ソケリッサの踊りは、わかりやすい“文化”や“歴史”のような土地らしさだけでなく、 “自然”や“環境”のように、もっと動物的で感覚的になることで見えるまちの可能性をも、 示唆してくれているような気がした。



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)



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