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“Fun”✕“Cancer”で紐解く、自分らしさの見つめ方。【前編】

ここ最近、あなたが自分の身体中をまじまじと見たのは、いつ、どれくらいの時間だろうか?

入浴中?それとも出かける前の鏡の中? 5秒?10分?1時間? いやいや、「見たくもないよ」といって、鏡すら置いてない人がいるかもしれないけれど!

「自分の身体を見つめることは、あなた自身を見つめることだ」として、 その意味を私たちに問いかけ続けているのは、 ニューヨーク生まれで、現在イギリスを中心に活動するアーティスト、ブライアン・ロベール

しかし彼は、身体を使って表現するモデルでもなければ、ダンサーでもないし、 身体を使って勝負するスポーツ選手やアスリートでも、ない。


ブライアン:

僕が体の異変に気付いたのは、ちょうど20歳の時。ある日、お風呂に入っていたとき、自分の身体の一部にふと異変を感じたんだ。そこから毎日、自分の身体が日々どう変化しているか、自分はどういう風に感じるのかを自分の目で確かめて、メモするようになったんだ。 そうするうちに、外見的にも内面的にも、僕の世界はガラリと変わってしまって、もう以前とは全く違った世界を生きているような、そんな感覚になったことをよく覚えているよ。


そう、彼はずばり、“がんサバイバー”だ。

自身のがん体験を経て、2003年より今日に至るまで、 がんを主題にしたパフォーマンスや展示、ワークショップを行っているブライアン。 “病”や“健康”、“患者体験”、“医療”といった多岐に亘るテーマを軸に、 分野をまたいで縦横無尽に駆け回る。

そんなブライアンが、今回のAIR21:カナザワ・フリンジのために来日したのは、6月中旬のこと。 1週間の金沢滞在を通じて、文化的・社会的なスタンスの違いをリサーチしていくという。 そこで、去る6月17日と18日に開催された公開イベントのレポートを通じて、 ブライアンが考える、“自分自身を見つめる方法”について迫ってみることにする。



正解のない問いについて、考えてみるということ。


6月17日、金沢21世紀美術館の地下にある“シアター21”で行われていたのは、 【We Have to Talk About Cancer(がんについて語ろう)】という、 アーティストトーク&デモンストレーションだ。

とはいっても、ただただ座って話を聞くものではない。 さすがは大学で演劇を教える先生でもあり、パフォーマーでもあるブライアンのワークショップは、 グループに分かれて、事前に用意された絵を使って自己紹介するところからスタート。 最初のお題が、なんと「自分が思う“がん”のイメージ」を一言で伝えるというものだった。

ずらっと見たところ、30枚ほどあるだろうか。 注射器、点滴、ドクター、時計、花、音符、天使の羽などなど、 一目瞭然のものもあれば、「これはなに?」と考え込んでしまうものまで。

その中から1枚をピックアップし、互いに“がん”のイメージを伝え合う作業は、 見るからにして、全員なんだか探り探りの状態。



「居心地が悪い」、「痛そう」、「現実に向き合うために音楽が必要だと思う」など、 なんとなく“タブーなこと”を言ってしまわないように、誰もが無意識に気を付けている。 そんなザワザワとした空気が会場内を漂っているようで、“参加者の心の戸惑い”を可視化できるような気さえした。

そう思っていたら、続いてブライアンから一言。 「次は“がん”というテーマで、目の前にある絵を自由に使って、グループごとに作品をつくってほしい」、と。

その言葉を聞いて・・・、思わず眉をしかめる人、ふふっと笑ってしまう人、顔を見合わせる人。 あちらこちらで、参加者たちの素直な気持ちが表情となって、外に現れる。

「なんでもいいんですか?」、「これはなんの絵なんだろう?」、「難しいね・・・」 感覚的なイメージはあったとしても、それを言葉にして伝え合い、一つのカタチにすることの難しさ。 正解はないはずなのに、よく耳にする“正解のようなもの”をイメージしてしまうのは、 きっと私たちが、“がん”について知らないことが多すぎるからに、他ならないのだろう。



だからこそブライアンは、私たちが手探りでつくったそれぞれの作品名と、 そこに込めた意図にきちんと耳を傾けたのち、 ようやく彼自身のストーリーについて話をはじめた。


病気は、あなたの“アイデンティティ”になる!?


ブライアン: 僕は、2001年に“がん”と診断されたんだけど、それはなにも特別なケースじゃないと思ってる。 なぜなら、人はたいがい、何かしらの“病気”を経験するものだと思ってるからね。 程度の差こそあれど、多分生まれてこのかた、“病気になったことがない人”なんていないと思うんだよ。

それなのに、治ったら「病気のことはもう忘れよう」と言わんばかりに、そこから目を背けちゃって、病気のことについて一切触れないようにするっていう人が多いのも事実。 周りも気を遣って優しく声を掛けてくれるんだけど、その時になんて言われると思う? 「病気で大変だっただろうから、つらい経験は早く忘れたほうがいいよ」って、さも心配しているような口ぶりで言われるわけ。

それを聞いた時、僕は決心したんだよね。 「病気という経験の中で得た考え方を、もっと外に伝えていかなければいけないな」って。

今の社会を、たとえば“健康”と“不健康”という2つの軸で見た場合、 俗に普通とされているものは、たいがい“健康”を前提にしたものだよね? それ以外は“普通じゃない”っていうことになってしまう。

でも、人は誰でも“病気になる”、あるいは“病気になった”ことがあるわけでしょ? だったら、なんにも恥ずべきことなんかじゃない。 そうじゃなくて、むしろ病気は自分の“ひとつのアイデンティティ”になりえると思うんだよね。


彼の話を聞きながら、ふとこれまでの自分の病気歴のようなものを、頭の中に思い浮かべてみる。 幸い入院したことや手術したことはないにしても、 もうかれこれ何十年という付き合いの“体質”のようなものはたしかにある。 しかしその“体質= アイデンティティ”とした場合、一体それがどんなものになるんだろか・・・なんてことを、ぼんやり考えていた。


ブライアン: 僕と同じような境遇の患者さんたちに、日々の中で “嬉しいこと”と“悲しいこと”を具体的に語ってもらっていたんだけど、その中で、「人は固有の経験を通じてこそ、個性が際立つ」ということに改めて気付かされたんだよね。

だからこそ僕は、自分が向き合ってきた“がん”という病気をテーマに、 「Fun with Cancer Patients」というプロジェクトを始めることにしたんだ。



例えば、化学療法の最中って記憶が飛ぶことがたまにあるんだけど、 それをコンセプトにして、パブで「誰が一番多く記憶を失うか?」というゲームをやったり、 “がん”であろうとなかろうと関係なく、同世代の人たちと一緒にダンスを踊って楽しめる「Cancer Disco」というイベントを開催したり。

一見すれば眉をしかめてしまいかねない“マイナス”なことでも、 視点を変えることで、あっという間に“プラス”に変えることができる。

そうやって、自身を取り巻く環境と、そこに向き合う自分のことを、 今一度、すべての人に考えてもらうきっかけになれば、と思ってるんだよ。


そうなのだ。 ブライアンの言うアイデンティティとは、“がん自体がアイデンティティ”というわけではないのだ。

“がん”という病気と向き合う中で、自分が抱える特性やクセなど、 そういったものが、ひるがえって“アイデンティティになる”ということ。 そしてそれは、自分の身体なしには、決して感じることができないということ。

そう考えると、いつも「これが私のアイデンティティだ」と思い込んでいたものは、 目に見える特徴や考え方といった、ごくごくわかりやすいものだけを指しているにすぎず、 自分の身体にまでは、到底意識を張り巡らせていなかったことに改めて気付かされて、 なんだか人知れず恥ずかしくなってしまったのだった。



⇒後編へつづく



取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)