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アオキ裕キ​

​(新人Hソケリッサ!)

 

 

 

中森あかね

 

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アーティスト

ディレクター

Q.

お二人は、2016年の「カナザワ・フリンジ」の企画で初めてお会いしたんですよね?まずは、そのときのお互いの印象、教えてください。

 

ディレクターの中森さんとは、昨年から今日に至るまで、とてもお世話になっています。ちょうど僕が、路上生活経験者とつくるダンスグループ『新人Hソケリッサ!』を始めて、今年で10年目になるのかな。僕たちの活動の軸にあるのは、日々“生きることに目を向けざるを得ない”そんな身体から生まれる踊りなんですけど、そこに中森さんの持つ思想とリンクする部分があるように思っていて、だからこそ彼女は僕たちの持つ可能性を探求し、広げていただけるような存在だと感じています。

 

2015年に、ピアニストの寺尾紗穂さんと『新人Hソケリッサ!』のツアー、「楕円の夢」が金沢であったんですけど、あの時見た彼らの踊りから、“生の在りよう”みたいなものがダイレクトに伝わってきてすごく感動しちゃったんですよね。それで、「カナザワ・フリンジ」のパートナーとして打診をするために、再び彼らと東京で対面したんですが、やはり大衆の中にいても秀でている“特有の存在感”がありました。アオキさんがいつもおっしゃるように、“人の身体には、その人の生きてきた歴史が表れるんだ”ということ、ありのままに生きていることがそのままシンプルに表現になり得るんだということに気付かされましたね。

 

アオキ

 

中森

 

Q.

アオキさんがさらりとおっしゃっていましたが、『新人Hソケリッサ!』は、“路上生活者(経験者)のおじさんたち”で構成されているチームですよね。正直に言えば、金沢ではほとんど路上生活をしている人たちを見掛けないし、だからこそ話題にすら上がらない。そんな土地・金沢において、今回ソケリッサとしてパフォーマンスをすること、実際にはどう感じていますか。

 

中森

 

たしかに金沢人と言えば、「保守的で小利口、他者の目を気にする見栄っぱりで、本音と建て前を使い分ける」みたいに言われることがあったりしますよね。それゆえに、否が応でも「自分はアウトサイダーだ」と感じざるを得なくなった金沢の表現者の中には、この土地を去っていく人たちがいたのも事実なんです。でもだからこそ、“周縁=フリンジ”をテーマにしている「カナザワ・フリンジ」を通じ、『新人Hソケリッサ!』が、金沢にある種の“異文化”を投入してくれる存在になり得るんじゃないかって、なんだかそんな気がするんですよね。

 

まさに中森さんの言う通り、僕たちは金沢で生きてきた身体でもなければ、金沢という土地の中で生まれた団体でもない。なので、まちの中には“違和感ある存在”として立ち入る感覚と、その自覚があります。ただ、それを否定的に捉えるのでなくて、違和感のある存在を“異人”と捉え直してまちや人と関わっていく。そんなアプローチは、むしろ金沢の確立した文化度の中で暮らす人たちとだからこそ、共に新たな景色を体感できるのではないかと思ったりしますね。

 

アオキ

 

Q.

去年は、美術館はもちろん、商店街やお城、公園など、様々な場所で神出鬼没的にパフォーマンスをされていましたよね。日常的なストリートパフォーマンスが少ない金沢でも、メンバーのおじさんたちが踊っている姿に惹かれ、思わず足を止める人が多かったのが印象的でしたが、今年はどんなスタイルを予定しているんでしょう?

 

金沢には、昔からお彼岸の真夜中に、浅野川にかかる七つの橋を渡って願掛けをする「七つの橋渡り」という儀式があるんですね。今年はその“民間信仰”をテーマに、橋渡しの出発点・常盤橋のそばにある空き家を拠点にして、メンバーたちがダンスを繰り広げる「あさのがわのいえ」というパフォーマンスをするつもりです。元々「七つの橋渡り」は、極楽浄土に至る“死の疑似体験”や新しく生まれ変わる“再生の儀式”とも言われているんですが、ソケリッサのメンバーたちが身を置いている“路上生活”という体験自体、生と死が隣り合わせの環境でもあるし、“自分と他者”あるいは“自分と社会”という部分に対して、向き合い直す期間でもあるかもしれない。だからこそ、路上生活経験者しか持ちえない力みたいなものがあるんじゃないかなって思うんですよね。そこで、彼らを“異界の人たち”と設定した非日常的な儀式に参加することで、観客自身も、気が付けば何かが昇華されていたり、何かが再生していくような感覚を覚える。そんな作品になったら面白いなと考えているところです。

 

 

 

それで今回は、当日までに拠点となる家に数日滞在して、僕たちソケリッサのメンバー一人ひとりが、“異人”として日常を過ごしていく予定です。その行為こそが、鎮魂の踊りを生み出し、“異人”としての役割を自然と担える大事なプロセスになると思いますし。ただ、やはり“鎮魂の踊り”に欠かせないのは、自然、そして川の存在なんですよね。現代人はどうしても、人が生み出した制約に囚われがちですが、自然を感じたり、あるいは人の中にある自然に気付き出会えるという感覚を、自覚的に持つということ。これは、どんな場所であっても人間が生きていくうえでとても大切な感覚だと思うんです。だからこそ、まちの中に大きな川が二つも流れ、それがまちの一部として存在している金沢では、なんともぴったりな企画なんじゃないかって思いますね。

 

中森

 

アオキ

 

Q.

路上生活者というキーワードでみると、“怖い”とか“よくわからない”というイメージで見る人も多いけれど、路上生活者の“身体”という観点でみれば、これほどまでに剥き出しの自然や社会と向き合い、生き抜いている身体は、他にないですよね。そんな視点の変換を掲げる「カナザワ・フリンジ」ですが、お二人が今、このプロジェクトを通して感じていること、聞かせてもらえますか。

 

アオキ

 

浅野川のほとりにある家で、“鎮魂の昇華の儀式”としての踊りをみていただくことで、観客それぞれの心の中にある“なにか”が溢れ、そのまま川の流れと同一化して大海へと還っていく。そんなイメージを持っています。それはつまり、自分と他者に共通している“自然”に気付くことで、そう考えてみると、実は誰しもがみな、この世界に一瞬だけ異人として存在しているのかもしれないですね。

 

金沢の文豪たちが文学の中で書いたように、夢幻で妖艶なさまや怪しいものとの遭遇、あるいは小さきもの、か弱きもの、貧しいものや侘しきものに目線を据えること。そのことから得られるインスピレーションは、私たちを深い思索と瞑想へと誘い込み、想像を限りなく自由に広げてくれると思うのです。「カナザワ・フリンジ」というプロジェクトも、すでにある“土着な金沢文化”と触れ合いつつ、新たな創造に向かうきっかけになるんじゃないでしょうか。多種多様な価値観を認め、他者を寛容に受け止める大人としての成熟度を備えた金沢になればと期待します。

 

中森